久し振りに手紙を見た。
縦書きの、手書きの手紙。
やはり手書きはいいですね。
それは詫び状だったわけだけれども。
言葉だけでは伝わらないことが筆跡で伝わるといいなと思う。
手書きは味があるだけではない。
手書きは祈りと似ている。
と思った。
最近
このご時世
ヒトは、
ワタシは、
「祈る」
ということを
どれくらい
しているだろう
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幼稚園生の頃から習っていた習字を
中学生になってやめた。
そりゃ、ずっと、書道の授業のたび
「ほんとに字がきれいだよね。」と言われていた。
書初め大会では難なく賞をとっていた。
(そしてこんなこと言うと、嫌われる性質の人間だということもよくわかっていた。)
でも、全然楽しくなかった。
百歩譲ってもいい字だとも思えなかった、自分の字が。
それが自我だったのかはわかりませんが。
「きれいな字はもういい。味のある字がほしい。」
と生意気ながらも思ったのです。
(こんなこと言えば、嫌われる性質の人間だとわかっていたので別に言いませんでしたが。)
だからやめた。
「きれい」という言葉が
いろんな形で自分に向けられるたびに
固まっていた。
キレイ ハ ミエテルモノダケカ
ミエテイナイトコロハ ショセン ミエテイナイ
ミセラレテイナイ
キレイ=カナシイ
という
悲しい方程式が
ワタシの中で
ウマレテしまった
カナシイカナ
「きれい」とは何だろう。
それは今でもよくわからない。
なんてこと言っておいて、
そのくせ、
なんとまあ、
「手書き」をしなくなったことでしょう。
こんなんじゃ、「味」があるかないかさえ、見えるわけがない。
祈りと味
祈りの味
手の味
私の味
あれから20数年。
ワタシの字はどんな味がしているんだろうか。
写真:
今年、誕生日に妹から貰ったもの。
「なんとなくお姉ちゃんらしいと思ったから。」
と言われてなんとなく、うれしかった。
photo:
Gifts which my sister gave me for my birthday.
"I thought it will fit with you,somehow",my sisiter said.
And I was happy,somehow.